Magic Everywhere

ディズニーブログです。

Dオタ ドイツ旅行記~ドナルディストの国へ~

この記事は

ディズニー関連ブログ Advent Calendar 2019 - Adventar

の23日目の記事です。

 

皆さんこんにちは。

すでにTwitterでは散々騒いでいましたが、先月、8日間ほどオーストリア〜ドイツ旅行にでかけ、お城、教会、宮殿など様々な場所を巡ってきました。

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今回訪れた場所の一つ、ノイシュバンシュタイン城アナハイムのスリーピングビューティーキャッスルのモデルになったと言われています。

 今回はマイルの都合上、オーストリアに行くことはあらかじめ決まっていたのですが、そこからなぜドイツまで足を延ばすことにしたかというと、↓の記事を読んでしまったからです。

www.afpbb.com

 

ドナルドがいかにドイツ国内で人気があるか力説したこの記事。

「この国ではドナルドダック(Donald Duck)が王様だ。」
「今でも夢中になっている大人の読者も多く、「ドナルディスト」という名称もあるほど。」

などととても魅力的な文章が並んでいます。

これはもうドナオタとしては行くしかないでしょう!というわけで今回は旅の中でわかったドイツ語圏のディズニーコミック事情とドイツのコミックミュージアム「エリカ・フックス・ハウス」についてレポートしたいと思います。

 

ドイツのディズニーコミック事情

結論から言うと、オーストリアとドイツ(つまりドイツ語圏)ではディズニーコミック、その中でもドナルドのコミックが大変人気です!

滞在中、たくさんの本屋に入りましたが、どこの本屋でも以下のような専用スタンドでコミックのペーパーバックが売られていました。

 

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オーストリアの本屋にて

 

ペーパーバック形式のものはLustiges Taschenbuch(LTB)というタイトルで売られていて、これがドイツにおけるディズニーコミックの総称(シリーズ名)のようです。

ちなみにLustiges Taschenbuchを直訳すると「面白いペーパーバック」になります。めちゃくちゃそのまんまのタイトルですね・・・。

 
その他にハードカバーで発行されているアンソロジー本、ムック本、
クラシックとして売られているカール・バークス作品等々、たくさんの種類があります。

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棚の分類が「ドナルドと仲間たち」となっています。

 

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カールバークス作品はリスペクトをこめてクラシックシリーズとして売られています。

 

これだけコミック人気があるのならドナルドグッズもたくさん売ってるのかな?と思ったのですがそっちは意外とそうでもありませんでした。
ドイツはおもちゃ大国と言われており、たくさんおもちゃ屋さんがあるのですが、
見た限りではディズニーグッズの取り扱い自体が割と少なく、あってもアナ雪グッズばかりでした。

あくまでコミックのキャラクターとして受容されている、ということが言えると思います。

 
さて、ドナルドのコミックがドイツで人気があるのはわかっていただけたと思いますが、1950年代にディズニーコミックをドイツに紹介し、ドナルドを人気者にした立役者がいます。

それが先ほどの記事でも紹介されていた、コミック翻訳者のエリカ・フックスさんです。
そして彼女の功績を称えて作られたのが、

今回ご紹介するコミックミュージアム エリカ・フックス・ハウスです。

※なお、ドイツ語の正しい発音はさっぱりわからないので文中のカタカナ表記はかなり適当です。
あらかじめご了承ください。ドイツ語がわかる方からのご指摘をお待ちしております。

 エリカ・フックス・ハウスへの道

旅行の計画中、ドナルド関連の展示をしている「エリカ・フックス・ハウス」の存在を知り、何としてもいかねば!となったのですが、ひとつ問題がありました。それはとても行きづらい場所にあること!
海外からの観光客が行くことなど最初から想定されていないようです。

公式ホームページはあるものの、すべてドイツ語・・・。

www.erika-fuchs.de

 

それでも調べていくうちに、

・月曜日が定休日

・最寄り駅は「シュバルツェンバッハ・アン・デア・ザーレ」(schwarzenbach an der saale)

ということがわかりました。
「シュバルツェンバッハ・アン・デア・ザーレ」ってどこだよ!という感じですが、この地こそがエリカフックスさんゆかりの地であり、ドイツにとってのディズニーコミックの聖地・・・ということのようです。

乗り換えを調べたところ、ホテルを取っているミュンヘンから電車でミュージアムまで行く場合は途中で2回乗り換えて4時間ほどかかることがわかりました。

ミュンヘンニュルンベルク→ホーフ→ シュヴァルツェンバッハ・アン・デア・ザーレ

という感じの乗り換えになります。 

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乗り換えイメージ

 

ニュルンベルクから行くと2時間半ほどで着くので、
これから旅行の計画を立てる方はニュルンベルクにホテルを取っても良いかもしれません。
(ニュルンベルクはメジャーな観光地なのでホテルがたくさんあります)

 

ちなみに、ドイツで鉄道のチケットを買うときはドイツ国営鉄道(DB)のDB Navigatorアプリが便利です。
このアプリ1つで乗り換え検索〜チケット予約、支払いが全て完結するので、ダウンロード必須です。
チケットはEチケット(QRコード)で、それもアプリ内に表示されます。

 

 

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ドイツ鉄道アプリ。JRも作ってくれ


なお、ドイツの駅には日本のような改札がないためそのまま電車に乗れてしまいますが

切符は必ず車内改札で確認されますので気を付けてください!

 

いよいよミュージアム

 

当日はミュンヘンのホテルからミュージアムに向かいました。

とにかく遠いので朝7時にホテルを出発。

途中、電車から降りようとしたら電車のドアが押しボタン式でボタンを押すタイミングがわからず降りたい駅で降りられないなど、いくつかトラブルもありましたが、なんとか12時過ぎにはシュバルツェンバッハ・アン・デア・ザーレ駅に着くことができました。

 

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シュバルツェンバッハ・アン・デア・ザーレ駅。周りになにもない・・・。

駅に着いてからはTwitterでも荒ぶっていたので、

そちらもご参照ください。

 

 

 

 

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この足跡を見た瞬間地面にすがりついて泣きそうになった。

 ドナルドの足跡に導かれてミュージアム到着!

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到着!

さて、早速中に入ろうとしたらまたも想定外の事態が発生!

受付の女性がドイツ語しか分からないようで、英語が全く通じないのです。

もちろんここはドイツなので当たり前と言えば当たり前(というかドイツ語がわからないこっちが悪い)のですが、ここまでの旅程ではほぼ100%英語が通じたので、軽くショックを受けました。

マジで会話が成立しなくて焦ったのですが、どうやら入口にあるミュージアムショップのレジがそのままチケット売り場も兼ねている様子だったので、どうにかチケットを購入。

また、リュックは中に持って入れないので、これもチケット売り場で預ける必要がありました。

 

とにかく展示が最高すぎる

 

 ようやくミュージアムの中に入ることができました。ここは「コミックと文芸のためのミュージアム」と題されていますが、実際のところ、展示の95%はドナルド関連です。ていうかもう、実質ドナルド博物館です。

 

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尊すぎて泣く。

 

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とにかくやばいコレクション群。

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その2


 

 

 

Twitterでは紹介しきれなかったのですが、ミュージアムではエリカ・フックスさんがカール・バークスと会った時のエピソードを描いたコミック「ダックバーグから来た男」も展示されていました。

 

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ダックバーグから来た男


これによるとエリカ・フックスさんはディズニーコミックはウォルト・ディズニー本人が全て描いていると思っていたらしく、カールバークスから「私がほとんど全て描いているのですが・・・」と指摘されてとても気まずい雰囲気になったようです・・・。

ホントか?笑

 

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エリカ・フックスさんの仕事場の様子。かなり独自のテイストを加えて翻訳していたようです。

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館内では貴重なドキュメンタリー映像も

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ドナルドの福笑い?的な?

 

 

 

 

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とにかくすべてが最高な図書館

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ここに住みたい・・・。



他にお客さんが誰もいないので図書館は貸し切り状態でした。

ちなみにこれで入場料は5ユーロ(約600円)。

安すぎる・・・。近所にあったら通いたい・・・。

お土産にエリカ・フックスさんとカール・バークスのポストカードと、ドナルドのマグネットを買って大満足でホテルに帰ったのでした・・・。

 

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世界でここにしか売ってないであろうスーパーレアグッズ。

 

レポートは以上です。

今回の旅行では本当に日本語の情報が少なくて苦労したので、このブログが少しでも誰かの参考になれば幸いです。

それでは皆様、良いクリスマスを!

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都市伝説「ミキクチ」に迫る~昭和の日本とミッキーマウス~

この記事は

ディズニー関連ブログ Advent Calendar 2018 - Adventar

の23日目の記事です。

 

みなさんこんにちは。

今年はミッキーマウス90周年ということで

いろんなところからコラボ商品が出たり、盛り上がってますね。

今回はそんなミッキーマウスの歴史に関するお話です。

 

突然ですが、
みなさんは「ミキクチ」という単語を聞いたことがありますか?

「ミキクチ」というワードでググると例えば以下のような
Webページがヒットします。

 

disneyurabanashi.blog.fc2.com


 

disneyland-mania.seesaa.net

 

ざっくり言うと

・日本では戦時中に英語が敵性語として禁止されていた

・そのため、ミッキーマウスを日本語で呼ぼうとしたところ

訳を間違えてしまった。

・それにより、戦時中の日本ではミッキーマウス「ミキクチ」と呼ばれていた。

 

という内容の豆知識、いわゆるトリビアです。

これだけ聞くとへーって感じですが、

実はこの話、かなり昔から伝わっているにも関わらず
明確な物証が見つかっていない、いわゆる都市伝説なわけです。
今回はこの都市伝説を検証していきましょう。

 

元ネタは?

 

この話の元ネタはどこなのか?と
探っていくとかなり歴史を遡ることができます。
以前は↓のような本にも豆知識として掲載されていました(という記憶があります。今手元にないので確認できませんが)

ディズニーランド101の謎 (新潮OH!文庫) TDL研究会議 https://www.amazon.co.jp/dp/4102900012/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_8mc5BbJX93TBH

 

しかし元ネタを探っていくとどうも英語圏に行き着くようです。

今回発見できた中で最も古い記述は1947年(!)

New York Time誌掲載のコラム”That Million-Dollar Mouse"内に

「ミキクチ」の記述があることが確認できました。

 

 


また、1968年放送のTV番組"Walt Disney's Wonderful World of Color"
より"The Mickey Mouse Anniversary Show"内でもミキクチに対する言及があります。

disney.wikia.com

 

このエピソードは日本でも「ディズニーランドストーリー」として
Dlifeなどで放送されていましたので
ご覧になった方も多いと思います。

以下が該当の場面です。

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各国で親しまれているミッキーマウスの現地での呼び名を紹介するという流れで

「日本ではミキクチと呼ばれています」と英語音声でははっきり言っています。

(日本語字幕はさすがに違和感があったためか「日本では”ミキクチ”と呼んだ時代も」としてありますが。)

また、新しいところでは2016年にLIFE誌から刊行された特集誌

”LIFE Walt Disney: From Mickey to the Magic Kingdom”にも同様の記述がみられます。

 

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 なんだか胡散臭い話だなぁと思っていましたが、

ディズニーオフィシャルの番組や書籍で
こんなに堂々と言い切っているのですからやっぱり当時は使われていたのかもしれないですね。
不安になってきました・・・w

ここはやはり、当時のことを探っていくしかないですね。
というわけで戦前~戦中にかけて
ミッキーマウスはどのように日本に受け入れられてきたか
みていくこととしましょう。

戦前のミッキーマウス

ミッキーマウス短編が日本で初公開されたのは
1929年のこと。

本国デビューからわずか1年後のことです。

ウォルト・ディズニーアーカイブス展 公式図録」の

「ディズニーと日本」の年表によると

1929年 ミッキーマウスが登場する4本の映画が初公開

 

とあり、この年に4本の短編が公開されたことになります。
残念ながらどの短編がいつ公開されたかまでは書いていないのですが・・・(なぜ!)

 

しかし、当時のことは佐野明子准教授がかなり詳細に調べられていますので
ぜひ以下の論文をご覧ください。

 1928-45 年におけるアニメーションの言説調査および分析(佐野 明子)

http://www.ghibli-museum.jp/docs/05%E4%BD%90%E9%87%8E%E3%80%80%E8%AB%96%E6%96%87.pdf


本論も非常に興味深いのですが、
末尾の「映画雑誌リスト」が圧巻でして、

 「キネマ旬報」や「映画年鑑」といった当時の映画雑誌から
アニメ映画に関する言及を徹底的に洗い出した資料です。

当時の資料やキネマ旬報から考えると1929年9月12日に
新宿武蔵野館で「ミッキーのオペラ見物」が公開されたのが
日本初公開ではないかと考えられます。

先述のリストからミッキー関連の記述をいくつか抜き出してみましょう。

 

キネマ旬報】1929年9月11日号 <広告>武蔵野館  シネフォンの発声漫画 ミッキー・マウス 9月12日より

 

 【MUSASHINO WEEKLY】vol.9 No.38 1929年9月12日
上映順序 無 三 発声漫画 オペラ見物

 

キネマ旬報】1929年11月1日号 トーキー覚え書 柳澤保篤 57-58

トーキー漫画を称賛「最近武蔵野館で観た「ミッキーマウス」動物漫画などは堪らなく面白い」

 

 

キネマ旬報】1940年3月1日号 旬報余滴 飯田心美ほか

21 歌舞伎「鳥羽絵」→人間と鼠の掛合がある→
「ミッキイ・マウスの漫画を誰でも連想するだらう
が、「鳥羽絵」の根底に流れる精神はミッキイの
場合より遙かに大人であり、成熟してゐる」

 

 

いくつかの表記ゆれはあるものの
1929年当時からほぼ「ミッキー・マウス」で固定されてますね。
どちらかというとウォルト・ディズニー
表記ゆれの方が激しく、

・ワルト・デスニイ

・ワルト・ディズニイ

 等々、発音しづらそうな表記がw

 

さて、1929年に日本デビューを果たしたミッキーマウスですが
1930年代には日本でも大きな人気を獲得します。

 

matome.naver.jp

 

 

 当時、カートゥーン=漫画映画は子供向けの娯楽として日本の大衆生活にも十分に

なじんでいたと考えられます。

特に1936年はネズミ年だったこともありミッキーのイラストが新聞紙面なども飾ったようです。

 

 

また、以下の論文からもわかる通り、「ミッキー忠助」をはじめとする、

ミッキーを真似た、あるいは影響を受けた日本の漫画キャラクターも

1930年代には多数見られます。

文化交流としての海賊版‐日韓漫画における表現の共有‐

http://kiyou.kobe-du.ac.jp/wp-content/uploads/2011/10/9_otsuka_2011.pdf

 

アメリカンカートゥーンにおいても、
ミッキーの登場以降、ミッキー似のキャラクターが多数出現しましたが、
同じことが日本の漫画界でも起こっていたといえるのではないでしょうか。
デビューからわずか10年たらずでミッキーマウスが世界を席巻してしまったことがわかります。

さて、本題に戻りますが
今まで見てきた中でもやはり当時の日本において

ミキクチという表記は1件も見られませんでした。

むしろ1930年代には「ミッキーマウス」というキャラクターが日本に定着していたことがわかります。

元の「ミキクチ」の都市伝説 によると戦時中の表現規制(いわゆる敵性語)によるものとありますので、戦争が激しさを増した1940年ごろに使われていた可能性はまだ残っていますが、1930年代の定着っぷりを見ると1940年代に入っていきなり「ミキクチ」になることはやはり考えづらいと思います。

 

決定的証言

そして、今年の11月に発売されたキネマ旬報では

なんと、あの手塚治虫先生によるコラムの中で「ミキクチ」が言及されていました。

 

 キネマ旬報 2018年11月上旬特別号 No.1793 

https://www.amazon.co.jp/dp/B07HSLVBTN/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_3W4hCb3MYRV8Y

(前略)ミッキーにはいろんな思い出があるが、笑い話を一つ。

アメリカの出版社のミッキーの紹介の本に、世界各国のミッキーの呼び名の表が出ていた。で、日本ではなんと呼ぶのか?「MIKI KUCHI」なのだ。

ミキ・クチってなんだ? 日本でそんな呼び名なぞ使うものか。

 

 

 はい、バッサリ否定されていました。

ディズニーマニアとして有名で、かつ戦時中の現状も知っている手塚先生の貴重な証言ですね。
ここまでの検証と合わせて「ミキクチ」という呼称は
当時は使われていなかった、でファイナルアンサーだと思います。

 

デマの出どころは?

じゃあ、これがデマだとして どこから出てきたものなのでしょうか?

先ほどのコラムには続きがあります。

 

(承前)僕は頭をひねって考えた挙句、謎が解けたのである。

この日本名を編集氏に教えたのは在米邦人の誰かに違いない。

編集氏はきっとその日本人に「マウスって日本語で何と言う?」とかなんとか訊ねたのであろう。たぶんその日本人は(中略)MOUSEをMOUTHと聞き間違えて

「それはクチだ」と教えたに違いない。

 

 

この手塚先生の推測通り
こちらのデマはやはり英語圏から出てきたものだと推測します。

冒頭に挙げたLIFE等の記事もそうなのですが、

英語圏のミキクチに関する記述をよく読むと
そこには戦時中うんぬんの記述はなく
各国語でミッキーマウスは何と呼ばれているか?という

文脈の中でしか登場しないんですね。

イタリアでは「トッポリーノ」、スウェーデンでは「ムッセピッグ」、そして日本では「ミキクチ」・・・といった具合です。

なので、1947年以前にどこかの本に書かれたいい加減な記述が

2016年に至るまで50年以上何の検証もされず、英語圏では定番のトリビアとして長い間生き残ってきたということになります。

 

 今回のまとめ

・「ミキクチ」の実際の用例はゼロ!

手塚治虫先生も否定しているのでデマでほぼ確定。

・確認できた範囲でデマの初出は1947年以前、英語圏と推測される

英語圏では50年以上、現在も生き残っている息の長いデマ


というわけで、検証の結果「デマで(ほぼ)確定」でした。
皆さんもフェイクニュースには気を付けましょう。

まあ、今回の件はディズニー公式もやらかしちゃってる訳ですが・・・。

ドヤ顔でこのトリビアを披露する人を今後見かけたらそっとこのブログを見せてあげてください。

あ、もしも「ミキクチの実際の用例を見つけた」という方が
いらっしゃいましたら是非教えてください。

それでは。

 

Walt Disneyロゴの謎~誰がロゴをつくったか~

みなさんこんばんは。
半年ぶりのブログ更新です。

先日、TLにこんな記事が回ってきました。

www.gizmodo.jp

 

我々Dヲタにとってはおなじみのあのディズニーロゴがいつから使われているのか?

その歴史をめぐるギズモードの記事です。

↓あのロゴ 

 

 

記事の元ネタになっているのは

ユーチューバ―のHank Greenさんが上げた

「なんでディズニーの”D”はこんなに奇妙な形なの?」というタイトルの動画ですね。

 

www.youtube.com

 動画と記事の内容をまとめると

・おなじみのあのロゴがディズニー映画に登場したのは割と最近で

原型は1970年の「おしゃれキャット」が初出。

ブルースクリーンとシンデレラ城のシルエットとともに

映画の冒頭のロゴとして使用されたのが1985年の「コルドロン」。

というところでしょうか。

 確かに、ディズニーの長い歴史を考えるとこのロゴが

正式に採用されてから30年と少ししかたっていないというのは意外ですね。

 

www.youtube.com

この記事と動画はとても興味深かったのですが、

ホントかな?と思うところもあったので

勝手に追加調査することにしました。

 

まずは動画の内容を検証してみる

さて、さっそく調べてみたところ、

いきなりHank Greenさん自身が訂正動画を上げているのを発見してしまいましたw

 

www.youtube.com

 

 この動画のアップデート情報によると

件のロゴは映画では使われていなかったものの、

他のジャンルではもっと前から使われていたことが判明した、とのこと。

1964年のNY万博で使われていたり

pin.it

1956年発売のレコードに使われていたりしたようです。

www.discogs.com

おお、一気に時代が遡りましたね。

私もあらゆるワードでグーグル画像検索しまくりましたが、

確かに初出はこの時期のようです。

私が発見できた範囲では

”Walt Disney's SAFETY FIRST”というレコードにも

このロゴが使われてました。eBay等の説明を信じると

1955年の発売のようですので、こちらのほうが1年早いかな?

 

pin.it

 


1955年以前の使用例がわかる人はぜひ情報を…。

 

ロゴはどこから来たのか?

さて、問題のロゴのおおよその初出の時期はわかりましたが、

じゃあそれ以前はどんなロゴが使われていたのか?

このロゴはどこから来たのか?

気になりますよね。

 

 

1948年のロゴの使用例です。

 昔は「ディズニー社統一のロゴ」という概念自体が無かったようですが、映画、コミック、レコード等、ほとんどの作品のタイトルに”Walt Disney’s”という冠がついています。

これは”ディズニー社が送る”という意味合いももちろんあったのでしょうが、ウォルトディズニー本人が製作者としてクレジットされているという意味合いが強いような気がします。

この頃からウォルトの名前そのものが強力な看板であり、ブランドだったのですね。

このロゴのD以外の文字はほとんど現在のロゴと同じ書体で構成されていますので、これが原型と言って良いのではないでしょうか。

特徴的なWやIの書体を見比べてみてもらうとわかりやすいと思います。

 

そして、さらにさらに遡ると1930年代〜1940年代のイラストにもその原型を見ることができるのです。

 

 

コピーライト表記として「©Walt Disney」と書かれていますが、

ウォルト本人のサインの様にも見えます。もちろん、書いているのは

ウォルト本人ではなく、ディズニー社のアーティスト(代表的なところでは、ハンク・ポーターという人)ですが。

それぞれのサインの書体は同じですね。

Dの字の上下がぐにゃりと曲がっているのが特徴です。

現在使われているロゴはここから来ていたわけですね。

 

ちなみに、このロゴとウォルト本人のサインの関係を調べると

さらに色々なことがわかったのですが、記事が長くなってしまったので

それは次回書きたいと思います。w

今日のまとめ

・現在知られている”Walt Disney”ロゴの初出は1955年頃

 

・さらにその原型は1930年~40年のイラストに描かれた

ディズニー社のアーティストによるサインまで遡ることができる。

 

それでは~。

 

 

コンセプトアートをめぐる冒険~ハーブ・ライマンの地図の伝説に迫る~

 

この記事は

ディズニー関連ブログ Advent Calendar 2017 - Adventar の14日目の記事です。

 

みなさんこんにちは。

去年のd_advent企画に参加して以来1年ぶりのブログ更新です。

いかがおすごしでしょうか。

 

今年、こんな記事が話題になっていました。

jp.reuters.com

アナハイムにある元祖ディズニーランドの
世界で最初に描かれたマップ(コンセプトアート)がオークションに
かけられる・・・という記事です。

 

なのですが、この記事、ちょっと事実誤認が目立ちます。

まず記事の見出しが

W・ディズニー手書きのディズニーランド地図が競売に

となっていますが、この地図を描いたのは

ウォルト・ディズニーではありません・・・。

記事本編ではそこのところ、もう少し詳しく書かれているのですが・・・

地図は手書きで、ディズニーとアーティストのハーブ・ライアン氏が作成。カリフォルニア州アナハイムの元祖ディズニーランド建設に伴う資金調達のため、投資家向けのプレゼンテーションで使用された。

”ハーブ・ライアン”って誰だよ!

ディズニーランドのオリジナル地図を描いたのは

正しくは"ハーブ・ライマン" (herb ryman)です!

 

ネタ元である↓のロイター英語版の記事には

上記の間違いは見られないので、日本語版を担当した人の

誤訳&誤植ですね。まったく・・・。

www.reuters.com

 

このままではハーブ・ライマンも浮かばれない・・・

ということで、今回はこの地図と それにまつわるミステリーについて

書きたいと思います。

■ハーブ・ライマンって誰?

まず、地図を描いたハーブ・ライマンってどんな人なのでしょう?

(Dヲタからするともはや説明不要なのですが、一応ね)

本名ハーバート・ライマン。
初期はアニメーターとしてファンタジアやダンボなどの作品で

アートディレクターを務め

ディズニーランド創成期から伝説的なイマジニアとして活躍。
今回の地図の他、眠れる森の美女の城のコンセプトアートを描いたのもこの人です。

アナハイム60周年のキャッスルのリハブの際、

工事隠しの垂れ幕にコンセプトアートを印刷するという粋な演出があったのが

記憶に新しいですね。

twitter.com

 

www.disneyavenue.com

さらにはTDL開園時のコンセプトアートもこの人によるもの。

twitter.com

個人的には、EPCOTのコンセプトアートが一番のお気に入りです。

 

twitter.com


氏のコンセプトアートの優れたところは
単なる完成予想図ではなく、パークの持つ理念や精神を具現化する
まさに”コンセプト”を表現しているところではないかと思います。

 

■地図にまつわる伝説

 

 

さて、地図の話に戻りましょう。こちらのアートが描かれた経緯は

しばしば"伝説"として語られます。

参考にできる本はいくつかあるのですが、

今年7月に亡くなられた

マーティ・スクラーさん(こちらも伝説的なイマジニア)著の
「ディズニー 夢の王国をつくる」から一部抜粋してみましょう。

 

2002年に刊行された

「絵筆とディズニー-ハーバート・ディケンズ・ライマンの言葉と作品で綴る、あるアーティストの旅」でハーブは当時のことを語っている。

 

1953年9月26日の午前10時ごろ、思いがけずウォルトから電話があった。

中略)

「ハービー、私はアミューズメントパークを作ろうとしている。今もちょうどその話をしているところだ」

・・・・・・「どんな名前になるんですか?」

「ディズニーランドにしようと思っている」

「いい名前ですね。ところで、私にどんなご用ですか?」

「月曜日の朝、ロイがニューヨークに行く。銀行家に会うんだ。

手始めに1700万ドルの資金が必要だ。・・・君もわかるだろう、

銀行家には想像力がない。やりたいことを説明しても、彼らはイメージを思い描けない。視覚的に表現できないんだ。そこで、カネを引き出せそうな機会に、私たちがやろうとしていることを見せなければならない」

「私にもぜひ見せてください。どこにあるんですか?」

彼は私を指さして言った。

「君が描くんだ!」

 

このように、土曜日の朝にウォルトから無茶ぶりともいえる指名を受けた

ライマンは、それでも月曜日の朝までになんとか仕上げてみせたようです。

この地図は、たった2日間で描かれたまさに”伝説の地図”なわけです。

 

 

■地図は複数あった?

 


それではなぜ、そんな貴重なアートがオークションにかけられているのでしょう。

そもそもそれってディズニー社が保管してるんじゃないの?

という当然の疑問が出てきます。

実はこの地図、実際は何枚かあるようです。

今回のオークションの主催者、Van Eaton Galleries が

以下のページで品物の由来を説明しています。

 

vegalleries.com

ざっくり訳すと

・この地図はディズニー社の元従業員がウォルトから直接もらったもの

・白黒の地図がよく知られているが、実は投資家へのプレゼンテーションには

カラーのものが使われた

・模造紙に描いた白黒の原画をなぞるようにカラー版が作成された

・今回出品されたものはプレゼンテーションに実際に使用された、

まさに"本物の"カラーのアート

 

という感じでしょうか。

上記にもある通り、このハーブライマンの地図としては

白黒の鉛筆画が一番有名です。
今年発売された公式本"Maps of the Disney Parks”の

にもこの白黒の鉛筆画が掲載されています。

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"Maps of the Disney Parks”より

また、その他の公式本、例えば"ディズニーリゾート物語”等には

カラーのバージョンも掲載されています。

 

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"ディズニーリゾート物語”より

おそらくですが、これら公式本に掲載されているものは

ディズニーアーカイブに保管されているのではないかと推測します。 

 

 そしてこの地図、過去にも別バージョンがオークションにかけられているのを

発見しました。

weissauctions.hibid.com

weiss auctions というところでオークションされていたみたいですね。

画像を見る限りはこれまで見てきたものとはどれも違うようです。

 

ということは、

1.白黒のもの("Maps of the Disney Parks”掲載)

2.公式本掲載のカラーのもの("ディズニーリゾート物語"掲載)

3.今回オークションにかけられたもの

4.過去にオークションかけられたもの

 

少なくとも4パターンは存在していると言えそうですね。

 

結局のところ、これらは投資家向けのプレゼン資料だったので、

プレゼン用に何パターンか用意された・・・というのが真相なのでしょうね。

 

■結局どれがオリジナルの地図なの?

 

 

このような経緯があるので、何をもってオリジナルとするかは難しいところです。

ボブ・トマス著の「ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯」にも

この地図の件が登場するのですが、そこにはこう書かれています。

ハーブ・ライマンは月曜日の朝までに図を完成させた。そして何枚かのコピーを作ると、ディック・アーバインとマービン・デービスが色鉛筆で手早く彩色した。

彩色はライマンの手によるものではなかったとはっきり書かれていますね。

 そういう意味ではハーブ・ライマンの手による白黒の地図(原画)こそが

真の意味での"オリジナル”だという考え方もできると思います

生前、マーティーさんが参加されたD23 expoのセッションで

「今回オークションにかけられた地図は本当のオリジナルではない」

という趣旨の発言をされたそうですが、

それもそのような考えに基づいてのことだったのかもしれません。

 

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今回調べた限り、地図が実際のところ何枚描かれたかは特定できませんでした。

ということは、ここに挙げた以外にも未発見の地図が、

今もどこかに眠っているかもしれません。

そう考えるとわくわくしますね。みんなで地図を探そう!

 

■終わりに

 

ハーブ・ライマンの地図の伝説、いかがだったでしょうか。

この地図が描かれたとき、

ウォルトの頭の中にしか無かった
ディズニーランドのビジョンが史上初めて具現化したわけで

エンターテインメントの歴史から見ても、
とても重要な一枚だと思います。

また、ハーブ・ライマンの洗練されたタッチが
ディズニーランドの建設に与えた影響も
もちろん無視できないところだと思います。

ウォルトの頭の中には明確な
ビジョンがあったとしても、
それを絵に起こす人がいないと始まりませんからね。
ウォルトがハーブ・ライマンを指名してくれて
本当に良かったと心から思います。

 

今回のまとめ

・ロイター日本語版の「ウォルト・ディズニーの手描き」はほとんどデマ。
・ハーブ・ライマンは神。
・地図は複数ある。未発見のものがまだ眠っているかも。みんなで探そう。

 

えー、それでは次回は来年のd_advent2018でお会いしましょう。(あるのか?)

良いお年を。

 

 

 

今年結婚しました!~ディズニーオタク同士が結婚するとどうなるの?~

この記事はディズニー関連ブログアドベントカレンダー2016の11日目の記事です。

みなさんはじめまして。
ばなな(@tw_wanabi106)と申します。
今回はこちらの企画に初めて
参加させていただきます。
今年5月にアカウントだけとって放置していた
当ブログに活躍の場が来た!と張り切っています。

さっそく行きましょう!
今回私が選んだテーマは「今年結婚しました」です。

経験者として結婚の良さを布教していきたいと思います。
(よく考えたら入籍したの去年だけど
まあ結婚式も新婚旅行も今年だったからいいよね!の精神)

■登場人物
ぼく・・・クソオタ
最近は海外パークにお熱
推しアヒルはドナルド

嫁・・・クソオタ

ディズニー好きだけどディズニー作品とピクサー作品の区別がついていない系

最近はユーリ!on Iceにお熱
推しアヒルはデイジー

二人とも(程度の差はあれ)クソDオタです。
自他ともに認めるクレイジーサイコアヒルオタでもあります。

 

■結婚すると決めたら

・プロポーズする場所を決めよう

Dオタ同士で結婚するんであればやっぱりディズニーリゾート内がいいですよね。

我々の場合は手近にTDR内で済ませました。

一番ベタなのはシンデレラ城前プロポーズですが、

最近の城前はいろいろカオスなので、

無難にレストランを予約しておくのがおススメです。

TDR以外だとどこかあるかな・・・。

予算が許せばパリとか素敵ですよね!

でも海外行ってプロポーズしてもしも駄目だった時は

ダメージが半端なさそうなのでやっぱやめときましょう。

 

・新居に置く家具を選ぼう

D系家具が豊富なのなんだかんだベルメゾンです。

 

www.bellemaison.jp

我々夫婦もベルメゾンでほぼすべてそろえました。

あとは212キッチンストアなんかも種類豊富です。

www.asplund-style.com

 

 

・指輪を作ろう

婚約指輪・結婚指輪を作りましょう。

ちなみに

婚約指輪・・・エンゲージリング。通常ダイヤとかをつけます。こっちのほうが高い。

結婚指輪・・・マリッジリング。普段使い用。あなたのお父さんお母さんが普段つけてるのはこっち。

です。婚約指輪・結婚指輪のブランドは揃えたいので

夫婦そろって買いに行きましょう

我々はK.UNOのディズニージュエリーで統一しました。

アフターケアもばっちりだったので文句なくおススメです。

ww.k-uno.co.jp

 

・結婚式を開こう

ここまででみなさん結構疲れてると思いますが

実際疲れます。

そしてここからが最大の山場。

問題山積みの結婚式です。

FTWは世界中で開かれていますので、東京にこだわることはありません。

DCL、アウラニ、フロリダ・・・。どこも素晴らしいですね

会場が決まっても問題は山積みです。

ドレスの種類からテーブルに置く花。席次表にドリンクの種類まで

決断に次ぐ決断。1つでも決断を間違えると一生グチグチ言われること必須。

それが結婚式です。

でもそれを乗り越えたときあなたの胸中に訪れるものはなんでしょうか・・・?

それはきっと感動だと思います。

たぶん本当に、自分で思ってるより何倍も感動すると思います。

覚悟しておいてください。

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・ハネムーンに行こう

いろいろイベントを乗り越えてようやく、

ようやく楽しいハネムーンです。

ここまでが思ったより長くなってしまったので
ツイートによるダイジェストでお楽しみください。

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いやあもう思い返しただけで最高ですね。

・・・途中でハリケーンが来た以外は!

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我々が行ったのは今年10月だったのですが、
このときマジックキングダムでは開園45周年のお祝いをしていました。
そして我々はWDWの歴史上4度目のハリケーンによる閉鎖を経験したわけです。

確率からいうと10年に一度くらい。

ネムーンに行ったら10年に一度のハリケーン
ブチ当たるってなんかもう逆にすごいよね・・・。

ある意味では貴重な体験でした。

 

アメリカ・フロリダ州、ハリケーン「マシュー」に伴う影響 | 旅行業界 最新情報 トラベルビジョン

 

つらつらと書いてきましたが、最終的にお伝えしたいのは
何はなくとも、何があっても、
嫁と一緒だったら大体のことはエンジョイできるということです。

 

結婚は、いいぞ。

(こないだ冷蔵庫の刺身勝手に食べたら死ぬほど怒られたけど)
(そんなに怒らなくてもよくない???ってくらい怒られたけど)

それではまた。

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というわけで

ブログをはじめてみました。

このブログを始めたのは、元はといえば今年5月に

colos EXPO 2016 というディズニーファンイベントに参加したことがきっかけでした。

イベント自体は濃いDヲタの皆様による座談会、プレゼン、ライトニングトーク、展示などなど盛りだくさんで、母数の多いディズニーファンだからこそ見つけることができる細かい着眼点がとても楽しいものでした。

そこで参加者の皆様の熱意に触発され、ぶっちゃけノリではてなブログIDを取得したものの・・・

12月現在に至るまでほったらかしになっていたのでした・・・。

 

過去にもブログを書いていたことはあるのですが、

どれも全部1.5日坊主くらいで放り投げたことのある私。

今回も不安でいっぱいです。

 

twitterはいくらでも続けられるんですけどね~~。

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まあtwitter精神的排泄みたいなもんだから・・。

思考しながら書くもんじゃないから・・・。

とりあえず、せっかくなので12月はブログを頑張ってみたいと思っております。

以下ブログエントリ案

・ドナルドダックのオリジンを探る
・ディズニーピンとかいう沼
ミッキーマウス! まとめ
・映画別パーク反映度
・世界のディズニーストアへgo
・世界のディズニーパークのクリスマス
・世界のディズニーパークのyoutube事情
・Dオタのカメラロール
・Dオタのプレイリスト
・ディズニー英語
・ブルーレイ・DVD出てる出てないクイズ

 

いくつか実現できるかな・・・。

がんばります、はい。